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細野豪志衆議院議員、無所属のまま自民党二階派入りについて

2019年02月02日

 いつもブログをお読み頂き、ありがとうございます。

 ニュース等でも取り上げられている表題の件について、様々、問い合わせも多いものですからこちらに記載しておきます。

 私は、2007年秋から2009年の春までの約1年半、細野議員の国会事務所に私設秘書として勤め、政策スタッフの役割を頂いて政治との係わりを持って参りました。

 当時は、野党としてのチェック機能を果たす為に税の無駄遣いや出資法人への天下り・渡りの問題を追及。前者では、学生インターンと共に、国土交通省が毎年約1億円を支払い、外部委託していた海外事例の報告書について、1ページ1ページ読み解き、その中には、学生のレポートでも使わないウィキペディアの引用を使用していたり、海外の書籍について、翻訳機で訳した文章をそのまま転記したが為に、日本語が成立していない表現等を発見。委員会の中で、その必要性や活用方法、問題点を取り上げ、計上されていた予算を廃止させるなどの実績を作った他、後者では、出資法人のHP等や情報請求などにより公開された給与体系などを徹夜掛かりで一つ一つ調べて、議会質疑で実例として、計算した給与や退職金の金額を提示すると、ワイドーショー等でもおもしろおかしく「給与と退職金で〇億〇千万も貰ってる」などと取り上げられ、我々が計算した数字を基にして報道されていたことを非常に印象深く覚えています。

 その後、細野事務所に勤めるにあたり、細野議員と私を繋いで下さった方が東京都議会に立候補するということから、その方の秘書となる為、事務所を離れることになりましたが、その時の経験は、私にとって現在の市議会に対する調査能力の礎になっています。

 細野議員と私の関係は、それからも年に数度、電話やメールで近況を報告する仲でありましたが、珍しく呼び出しを頂いたのが、201412月、民主党の代表選出馬を決意したその日だったと思います。その際にお話し頂いた民主党立て直しのビジョンが今日、細野議員の主張される憲法観や現実的な外交安保は、そのままに「中道より少し右寄り」の政党にしていくことであって、今思えば、民主党による政権交代可能な二大政党制や希望の党の立ち上げによる二大保守政党の考え方の根本となるものだったと思います。

 つまりは、「政策や理念を捨てたとき、政治家は死ぬ」と細野議員も発言されていますが、今もその部分に変わりはないのでしょう。ただ、その政策実現の為には、二大政党という手段を用いないという選択をされたものと推察されます。あくまでも政党は、政治家の本文である「政策実現」を果たす為の手段であり、細野議員が地方議会によく居るとされる(川崎市議会には居ないはず)数合わせ的な政党の為の議員・政治家ではないことを改めて、報道ベースでしか伝わって来ませんけれども、今回の行動や発言等で理解した所ではあります。

 私は、現在、立憲民主党という政党に所属をしています。それは、生まれ育った地域の地方自治体議員として、育てて頂いた地域への恩返しをしたい想いで活動を続けており、県や市との関係や連携を踏まえて、これまでも仕事をする機会が非常に多く、ここに至るまでに培って来た地元の政治の師である「たきた孝徳」県議との関係からそのような決断を行いました。

(詳細はこちら http://www.oshimoto.info/report/blog/post_934.html )

 滝田県議を師事し、その仕事環境を継続していくという決断がひいては市民・区民の為、政策実現に寄与するものとの想い・考えからであります。近年の具体的な事例としては、苅宿本通りの速度規制の案件、速度の設定は、警察で県。危険箇所へのカラー舗装化やカーブミラー設置は、川崎市となります。また、西加瀬県営住宅の歩道設置と日照への考慮については、住宅の設計は、県。但し、許認可、指導は市となり、お互いの立場で改善を促し、それらを実現して参りました。

 今回、細野議員の自民党の派閥入りの件を受けて、自民党関係者から「どうするの?」などと茶化して聞かれますが、私が自民党に行く事は、残念ながらあり得ません。例えば、川崎市が抱える地方税制の課題、法人市民税が一部国税化され、他の地方自治体に分配される仕組み"大都市いじめ"の地方創生は、自民党・安倍政治の主眼の政策であり、その解決が難しく、政権交代でしか解決に至らないからであります。ちなみにですが、私は、いわゆる政治家と呼ばれる方々が嫌いでした。どちらかというと、"ひねくれた見方"をしているのでしょうけど、地盤・看板(肩書き)・カバン(資金)のある一部の方しかなれない職業だと未だに考えていますし、それを打ち破り、誰にでも開かれた政治を体現したいと日々活動していますので、今日の日本におけるこのような政治体制を構築してきた自民党には、どこぞの馬の骨ともわからない私のような人物は、似つかわしくない存在であると言えるでしょう(笑)

 そして、そんな政治家嫌いな私が「政治家」になると決断した背景の一つには、民主党による政権交代が起きたことも大きな要因でありまして、実際に「民意が動く」瞬間を目の当たりにしたことで、一部の人しかなれない政治家業に「風穴を開けられる」と確信した出来事でした。また、国の政治・政策やそれを担う国会議員は、政権交代によって磨かれるものと考えておりますし、政権交代可能な二大政党制の実現について、その可能性を私は、未だ捨てたくありません。(さらに、私が今後も担っていきたい地方議会は国政と違い、二元代表制ですから政策実現の為には、与党にならずとも首長という選択肢も残されている所ではあります。今の私にその選択を選ぶことは大変厳しく勇気のいることですが(汗))

 箇条書きの為、とりとめのない内容となっており大変恐縮ですが、今回の細野議員の「政策実現がしたい」という想いの部分については、確かに私も共通する所ではあります。但し、政治家の出処進退は、自身が判断することを大前提としながらも、あとは、その政策実現の為にとった判断や行動、実際に政策が実現出来たかどうかの成否については、有権者一人ひとりがその実績を持って判断されることであり、ダメなら政治家として落選の印を押されるでしょうし、良しとするなら信任されるだけのことではないでしょうか。

 前述している立憲民主党入党の際に、(詳細は別の記事にて掲載、アドレス前述)この間の経過をメールにて細野議員にお知らせをさせて頂きました。丁寧に返信を頂き「自身の信じた道を歩いて欲しい」、「政党が違っても私と押本君との人間関係のお付き合いは変わり無い」という内容だったと記憶しています。それが昨年の3月、それ以降は、やりとりが途絶えてしまっていますが、政治人生の一端を知る者として、当時の呼び方であった『代議士』と呼称させて頂きますが、代議士が選ばれた"信じた道"をどのように歩まれるのか。どのように政策・理念を実現していかれるのか。今回の出来事によって、政治的な立場は、より袂を分かつこととなりましたが、これからもその歩みについて、関心を持って注視して参りたいと存じます。

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